洋服
洋服について考えること。
60歳を目前にして何だか何を着ても似合わなくなったと思う。
いいなぁと思う服が似合うわけでもなくなった。
体型や外見の変化はもちろんだが気持ちの変化もあると思う。
洋服はだいたい同じ店で買う。
そこにあるものが好きだし質がいいから。
でも多分私には似合ってないと思う。
だけどそこのを選んでしまう。
似合うものを捜すのがめんどうなのだ。
若い頃…いやちょっと前まであった買い物に対する情熱みたいなものがなくなった。
気持ちもなくなったしそれに費やす体力も低下。
その店に行けば今の手持ちのものに合わせて薦めてくれたり 送られてくるカタログで見ていたものを実際手にとって着てみて選んだりできるので心身共に楽だ。
セールをしない店なので後で悔しい思いをすることもない。
最初は入りにくくて私もとっつきにくいタイプだが店員さんたちも静かなので場違いさ半端なかったけど そこはお客だし相手もプロだ。
前を通るだけで会釈してもらえるようになった。
まぁそこの商品を着て歩いてる人だからなんだろうけど。
洗濯方法もめんどくさい生地だったりするのだがそこは手をかけて大事に着ていきたいと思うので苦にはならない。
先日秋物を買いに行ったとき一生大事に使いたい財布に出逢ったのでタイミングを計っている。
似合わなくなったけど 今の方が楽しい。
そういうおしゃれもこれはこれでいいんじゃないかと思う。
距離感
8月の二日目。
勤怠希望表が届き9月20日までの希望休を書き込む。
まず母のスケジュールを確認してそこに休みを入れて自分のスケジュールはシフトが出てから休みの日の母の用事以外のところに当てはめていく。
仕事と母以外の自分のための休日がない月もある。
自分で選んだことだし不満ではない。
父が亡くなった時に感じたことを母の時には感じたくないと決めたから。
母の もう80過ぎたし好きにさせてもらうわ という姿勢も理解しているつもりだ。
多分アル中だた思うけど嗜めたり意見するのは止めた。
お風呂に入らないとか口臭がするのも何も言わない。
お風呂に入りたくなくて歯も磨きたくないのだから。
名医だと信じてるけど実際全然よくなってない眼科通いも付き合う。
この距離感でいることで私はとても楽になった。
子供たちにたいしてもこのスタンスは有効だった。
そして夫にたいしても先月ぐらいからこのスタンスを取るようにしている。
夫にたいしては我が出てしまったり甘えたくなったりしてしまうので一進一退だが 夫もあれ?とかとまどいながらも日々穏やかなので何も突っ込んでこない。
この歳にになってやっと人との距離感が掴めつつある。
83歳のストライク
来月お仲間たちとのボーリング大会があるので練習しに行きたい(連れてけ)と母に頼まれて行ってきた。
母83歳。月1で活動しているお仲間たちもだいたいそれぐらいの年齢。
…ボーリングて…。。。。
日頃は腰が痛い膝が痛いとゴミ捨てや買い物や自治会の役員まで私に任せているのに。
ボーリング…。
理不尽なのはいつものことなので快くひきうけた。
私は骨折加療中の身で運動は固く禁じられている。送迎と見学のみの参加である。
実際 体大丈夫なのかとかもうボールが持てなかったりして自信なくしちゃったらかわいそうだなとか内心心配だった。
私はもう20年以上は脚を踏み入れていないボーリング場への恐怖感もある。
子供たちが小さいときは家族で行ったりもしましたが基本的にああいう場所が苦手で嫌い。
そんな私の色々な思いは全く関係なく ちゃっちゃと手続きをしてなんなら受付の人と爆笑してたり…。
さっささっさと歩いてシャキッと腰も伸びてる母。
一番ビックリしたのが myシューズを持ってたこと。
持たされてた荷物から何が出てくるのかと思ったら ボーリングシューズが出てきた。
レーンに着いたら二種類のボールを選んで持ってきて休むことなく3ゲーム。
水分を摂ったり休憩したり一切なく投げ続けた。
あまりのマイペースさにお隣のレーンの人が投げにくそうだったがおかまいなし。
3ゲームめには2回ストライクも出た。
いやもうおそれいりました。。。。
寝る前にLINE入れたら
「いつもより腰が痛くない」と返ってきた。
夏休みということもあってかボーリング場は結構賑わっていた。
でも昼間の時間だったからか若者や家族連れというよりは常連ぽいお年寄りが多い。私の年齢前後から母の年齢未満というところか。一式入ってたであろうキャリーケースが並んでいた。
私とは無縁の世界だけど皆さんここでも楽しんでいらっしゃるのね と思った。
私はやっぱり我が家の床をみがいたり 料理をしたり 家事をしてるのが一番幸せだ。
家に戻って私は生き返った。
7月最後の日
7月最後の日。
農家に嫁いだ娘に 話のついでに「里芋が高かった」と送ると(LINEで)「是非○○くん(娘の夫)の作った里芋買ってください」と返ってきた。
以前も黒米の話になったときに「うちの送るよ」と送ってきてくれた米にしっかり請求書がついてきた。
それ(農業)を生業としているのだから当たり前なのかもしれないけれど 私としては少し寂しい思いがした。
家族だから当然とは思わないが 話がでたときぐらいは請求書の添付なく送ってきてくれてもいいんじゃないかと…。
誰にも言えないけど。
こんなこと思う私が間違ってるとも思うけど。
誰かに(家族でも)なにかを期待するのはやめようと決めて久しいが 今朝も里芋できゅっと胸が寂しくなった。
さて7月最後の休日。
母の行動にお付き合いで終わります。
眠れない夜
私の住む地域は台風は去ったようだ。
早朝にも関わらず蝉の合唱が響く。
地震から始まり 大雨 激暑 そして台風。
TVから聞こえてくる 「命を守る行動をとってください」や「早めに避難を」という言葉に不安感が増す。
昨年の秋の台風でもご近所のカーポートの屋根が我が家のガレージに飛んできたり 庭の木が倒れたり折れたりした。
今回は行政もいち早く避難所を多数開設していた。
私の防災意識も確実に向上して さすがに自分は絶対大丈夫とは思えなくなった。
ただ今神経過敏で冷静ではない気もする。
不安に思いすぎてるんじゃないかと思う。
いや実際これぐらいの危機感を持ってて当たり前なのかもしれないがこう立て続けに遭遇すると心身共に疲弊した。
やはり今回も各地で被害が出ている。
交通も乱れている。
被害がなくただ心身が疲れてるだけの今の自分はラッキーで幸せなんだ。
今日は仕事が休みだということも。
複雑…
83歳の母を眼科へ連れて行った。
眼科の近所のベーカリーカフェで朝昼兼用食事を摂った。
パンを選び アイスコーヒーを頼み座席に行こうとした母がトレーからアイスコーヒーを落としてしまった。
すぐ店員さんに処理していただき母は席についたのだが。
離れたレジで精算中だった私は左足骨折治療中で咄嗟には動けずただ見ているしかできなかった。
父亡き後 実家近所に3年前に引っ越してきた私はあるときから娘であることを【仕事】だと思おうとするようになった。
だが今回 アイスコーヒーをぶちまけて呆然として私の姿を目で捜してる母の姿に そんな自分を少し反省した。
母には自分の買うパンの精算だけさせて飲み物は私が買って運ぶということもできたんじゃないか とか 全ての精算を私がやればよかったんじゃないか とか 色んな思いが浮かんだ。
【仕事】ならもっとちゃんとやらないとダメだし 母の相手することを【仕事】だなんて思ってるからこんなことになっちゃうんじゃないのか…とか。
精算中にアイスコーヒーを一つ追加して母のところへ行ったら 代わりのアイスコーヒーをいただいた店員さんに「ミルクとシロップ持ってきて」と言ってました。。
母は充分介護の対象ですが公的なサービスは受けず 趣味や運動や友達やと出かけて行きます。
出かけるときは私が送って行き 母のスケジュールに沿って自分の仕事を入れているような状態。
誰かに頼らないと成り立たない趣味は止めてほしいと思う反面 ずっと続けてほしいとも思う。
複雑です。
言葉や態度で傷つけられたりすると【仕事】って割りきらないとやってられないし さすがに弱ってるところを見てしまうとできることはしてあげたいって思うし。